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Showing posts from March, 2024

ブログ9 興味のあるもの

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  去年の夏休みに台湾に旅行した時、台北にある国立故宮博物館に行きました。博物館の館員によると、博物館に置いておく置物が70万件以上けど、 翠玉白菜、 肉形石 、 毛公鼎 の三つの置物は最も人気の置物ということが分かりました。 肉形石は石にかかわらず、本当に肉の形のように見えます。初めて見たときびっくりしました。 毛公鼎は三千年前に作って500字でできた古文を含めるということから考えると人気があるのか理解しやすくないと思います。これらの二つの置物が好きじゃないわけでわないけど、一番好きな置物は 翠玉白菜です。 翠玉白菜は 翡翠(Jade)で使われて作った工芸品で、中国の清時代の王室ばかり持っていたものです。第二次世界大戦後、中国の北京から台湾に伝わって来ました。本当のキャベツのように見える一方で、キャベツの上に虫の一つも作られました。なぜかというと、子供がたくさんいるように祈るという。本当に面白い置物だと思います。 現在、世界で6つの 翠玉白菜しか存在しません。それぞれの 翠玉白菜はちょっと違うけど、全部貴重な工芸品に違いありません。機会があれば、皆さんも見てくださいね。

ブログ8 外国から輸入した食べ物

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  日本の代表的な食べ物と言えば、ラーメンのことについて話さなければなりません。ラーメンは豚骨ラーメンを始め、醤油ラーメンや塩ラーメンなど種類が多いです。  1859年に日本が外国に開港したら、多くの外国人が日本の関東地方に引っ越してきました。その時、中国の中華麵が初めて日本に輸入されました。1906年から、中国からの留学生が増えて、中華麵のレストランが人気になりました。日本人も麵が好きだったので、日本らしい材料や料理の作り方で麵を作り始めて、ついに 日本人のお好みに合った 日本らしいラーメンが誕生しました。ですから、「ラーメンは中国の麵料理と日本の食文化の融合である」とよく思われています。ところで、1923年に関東地方に大地震が起きました。その後、東京•横浜から、たくさんのラーメン屋の店長が日本の他の地方に引っ越して、ラーメンが日本の全国に広がりました。今日本には北海道から沖縄にかけて各地域の特別なラーメンがあるのはずです。  私は中華麵もラーメンも大好きですが、最近多く食べているのはラーメンの方です。ロサンゼルスにラーメンのレストランが多いし、時々友達やクラスメートと一緒に食べに行きます。リトル東京には、大黒屋のようなおいしいレストランがありますが、ちょっと高くて、いつも行列が長いという理由で、ほとんど行きません。値段という点から考えると、トーランスのミツワスーパーの中にある山頭火という北海道ラーメンのレストランが一番好きです。塩ラーメンをよく注文しますが、普通の塩ラーメンは約12ドルだけです。高くなくて、とてもうまいと思います。ガーデナという町にある時代屋というレストランにもよく行きます。約13ドルでとてもおいしいので、絶対におすすめです。  ラーメンは今全世界で本当に人気があります。ロサンゼルスでたくさんの種類のラーメンが食べられるのが幸せだと思います。皆さん、暇な時、一緒に行きましょう。

ブログ7  歴史上の人物 阿倍仲麻呂

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 私は阿倍仲麻呂という歴史上の人物を紹介したいと思います。なぜかというと、中国の西安という町でも日本の奈良県でも阿倍仲麻呂の置物があって、阿倍仲麻呂は日中関係に対して非常に大切な影響を与えることが分かますから、紹介したいと思います。  阿倍仲麻呂は698年に奈良県に生まれました。当時の中国の唐時代に、中国は世界中で最強の国だったという理由で、他の国々は中国の受験制度、法律、文学、芸術といった中国の文化を学びたかったです。阿倍仲麻呂は若い頃からとても才能があって、特に中国文化に興味が深くありました。ほとんどの日本人と比べて中国の文化がすごく上手なおかげで、外交官として中国に訪れました。せっかく中国に来たのだから、数年間一生懸命に中国の発達した文化を勉強しました。まるで地位が高い中国人のように中国の文化や中国語の能力を持ちました。中国の大臣になるための試験に合格して、中国の大臣になりました。その時、中国に住んでいた外国人が少なくなかったけど、中国の大臣になれる人があまりいなかったというのは事実です。したがって、中国の皇帝も阿倍仲麻呂をとても尊敬して、中国の最高の学校で学ぶことを許しました。  中国の住んでいた時、多くの素晴らしい中国人の詩人と友達になりました。阿倍仲麻呂は日本に帰ろうとしましたが、事故のせいで、中国に戻りました。面白いことに、詩人たちは阿倍仲麻呂が事故によって亡くなったと思ったから、悲しい詩を書きました。阿倍仲麻呂が中国に戻れることにびっくりしました。その後、阿倍仲麻呂は中国に住むことを決めました。その間に、多くの日本からの留学生たちを指導した一方で、日本が中国人の政府に対していいイメージをしました。つまり、阿倍仲麻呂は日本人の留学生を通して多くの中国の発達した制度や中国の本を日本に送られました。当時の日本社会に大きな影響を与えました。最後に、阿倍仲麻呂は770年に中国の首都で亡くなりました。古代の日中関係に対して最も大切な人物と言えるべきだと思います。

ブログ6 私が好きな歴史上の人物

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    中国には長い歴史があります。長い王朝(dynasty)もあれば、短い王朝もあります。中国全土に一つの大きな王朝しか存在しない場合でもいくつかの小さい王朝が同時に存在する場合でもあります。歴史上の最初の皇帝(emperor)から、2000年の間、皇帝は547人います。今日は明時代の弘治(こうち)皇帝を紹介したいと思います。有名じゃない皇帝という理由で、ほとんどの中国人が知らない皇帝のはずです。     明時代は初めて北京を首都として選んで、約1368年から1644年まで存在しました。大きな王朝の一つです。中学の時、明時代に興味がありましたから、各皇帝の人生について調べて学びました。 弘治皇帝は中国の歴史上に大切な皇帝決して言えないけど、個人的な考えですが、とても偉い皇帝でした。なぜかというと、皇帝だった時、何も歴史的に偉い事件がなかったにもかかわらず、本当に勤勉な皇帝でした。      弘治皇帝は明時代の第十代の皇帝でした。前の皇帝達はあまり勤勉じゃなかったせいで、お金を盗む大臣(ministers)を信頼したし、国民の生活は悪くなることを心配しなかったし、全国は問題点が多かったです。弘治皇帝は独り子だったけど、父皇帝の皇后(母じゃない)は悪かった人から、子供の時厳しかった生活がありました。皇帝になった後、国民の生活はよくなれるように一生懸命に働きました。古代中国には、皇帝は朝だけ会議をしましたが、弘治皇帝は午後も会議をすることが少なくありませんでした。いい大臣を選んだり、国民の生活の難しさに対して対策をとったり、自分でなるべく節約しました。驚くべきことに、奥さんは一人しかいなったということです。古代中国の皇帝の中で、弘治皇帝だけ奥さんが一人しかいなかったです。本当に勤勉な皇帝でした。      弘治皇帝のおかげで、国民の生活の質はすごくよくなりました。現在のほとんどの中国人は偉い皇帝と言えば、弘治皇帝を決して知りません。個人的な考えですが、何も歴史的に偉い事件がなかったけど勤勉さによって素晴らしい皇帝になることを心から尊敬します。